多摩美の評論会に行ってきました

先日、Factory 4Fが授業の一環で講師を務めさせていただいた多摩美術大学の学生さん達の作品評論会に参加させていただきました。

 Personal Publishing と題して自分で本を作ることが課題、本といっても文庫本や上製本のような形である必要はなく、より自由な発想を学生にしてほしいということで以前にFactory 4Fでは1枚でできる本作りをワークショップで紹介しました。

 その後、学生達がどのような作品を最終的に仕上げたか。なぜだか自分の作品が評論されるような気分で大学へ向かいました。

 展示会場はどことなく張りつめた空気。美大、芸大生にとって評論の時間とはそんなに気分いいものではないと思いますが、私から見たら皆さん一生懸命考えて制作した素晴らしい作品に見えました。

 

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写真があまり撮れなかったのですが学生さんの中にはFactory 4Fで工場見学をしたことによってどうやったら量産できるか、ということを考えて作り方も工夫した学生やトリック綴じというFactory 4F(篠原紙工)独自の綴じ方を作品に活かしてくださった方もいました。当たり前ですが10人いたら10通りの作品が出てくることを改めて面白く感じました。

 布を使った作品もありましたが私にとって彼女の作品は『本』でした。紙を使ってなくても本と感じるのであれば『本』の定義とは一体なんでしょう?

彼女の作品はとても自由さと柔らかさがある魅力的な作品でした。六本木ヒルズにある蜘蛛の彫刻を作ったルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)もcloth book で布の本を作っていましたがどことなく彼女の作品を私に思い出させました。

 

 

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美大、芸大の授業においていつも難しいと思うのは理数系のように正解が無いということ。デザインとなると他者のことを考えた上で形になったりと具体的な考えも浮かびやすいですが全くの個人作品になるとどうしても自分と近しい感覚、思考、センスの人を評価しがちです。大学の良いところは先生を選べるところだと思いますが、できるだけ感覚が近い先生に出会えればいいですね。

 

たとえそういう人に出会えなかったとしても最終的には自分の感覚を信じて作品を作る喜びとそこに情熱があればいつか何かに繋がると思います。芸術家らしい人々に共通するのは『作らなくちゃ』ではなく『なんかいつも作ってる』究極は続けられることこそが才能なのかな、とそういう人々を見て思います。

 

多摩美術大学の学生さんを見て、将来どんなアーティストやデザイナーになるのだろう、と想像したと同時に自分が学生の頃、先生と呼ばれる立場の人々は私のことをどう見ていたのだろう、とも思いました。今は製本工場で働いてる、なんて誰も想像つかなかったでしょう。

 このPersonal Publishing の授業で学生さんの中で何か化学反応があったことを願います。紙はとても身近な存在、自分の思考を紙に書く、絵を描く、印刷する、折る、いろんな方法で自分の表現手段を見つけて欲しいなと思います。

 

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