「仕事」ということを考える時のヒント
『生き方研究室』という会について少し。
今年の夏から何度か不定期で開いている『生き方研究室』
生きる上で必ず考えるであろう、仕事のこと、人間関係のこと、健康、お金、
などなど、一つのテーマにフォーカスして少人数で話し合う会。
哲学とまではいかないけれど、
物事の本質を自分以外の人と話し合うことでより心を豊かにしようというのが目的です。
前回参加してくれた方々ありがとうございました。
前回のテーマは「仕事とは?」
世の中的にも働き方が見直されていたりして、
ざっくりとでも「仕事」について話すのも良いかと思い選びました。
大半の人が仕事に対してネガティブな印象があるのではないでしょうか?
私も働き始めた頃仕事は、辛く、我慢しなくてはならない。
仕事とはそういうものなんだ、と思っていました。
しかし仕事が嫌だな、と思うたびに
友人のお父さんの言葉が頭の中に浮かぶのです。
その友人はお父さんから
『仕事は、辛いもんじゃないんだよ。良いことなんだよ』
と言われて育ったそうです。
なんとなくその言葉が20代の私の中にずーっと残っており、
その言葉をヒントに仕事についてよく考えていました。
答えは出ず悩み続けていたのですが、
まずは仕事とはそもそも良いことなのだ、と単純に思い直してみたのです。
しかし、、、現実は厳しかったり、今思えば自分に合ってない仕事だったりで
嫌になったりすることもあったのですが、
その言葉がいつも思い浮かび、
心地よくないのは何か自分に原因があるのだ、
このかなりのポンコツ度合いを自分でも認め、
ずーっと自分と仕事との微調整と対話が続いていた気がします。
30代になってもその微調整は続きましたが、『仕事とは本来は良いことなのである』
という言葉はいつも忘れられませんでした。
きっとそうなんだと思う。と信じたかったのです。
そんな中、ある本の中でこんな言葉に出会いました。
「仕事とは自分の能力や興味、価値観を表現することである。」
アメリカ人でキャリア研究者のドナルド E スーパーという方が残した言葉です。
自分の能力が生かされてない時、
その仕事が自分の興味の範囲とかけ離れている時、
自分の価値観とあまりにも違う環境にいる時、
人は仕事を苦痛と感じてしまう。
ということは、自分の能力、興味、価値観、これが自分で多少なりとも分かって
いないといつまでたっても負からは抜け出せないということです。
私たちは自分が何を望んでて、何が好きで、どんな価値観を持っているのか、
なんてことをきちんと考えることは日頃ほとんどないと思います。
それくらい意識してないと流されてしまう生き物なのです。
自分のことなのに自分が知らないなんて、変な話です。
『仕事とは表現をすることである。』
この意味は表現をするために仕事がある、とも考えられます。
仕事を通してどう自分を表現していくか、これが仕事だと思うと
今まで私たちが植えつけられていた「仕事=辛い」
というネガティブなイメージから解放される感じがしました。
言われたことだけをこなすことを労働、と考えるとその与えられた
労働に+αや自分の創意工夫、価値を付け足し表現することで それは
仕事、という言葉に変わるのかもしれません。
しかし、ドナルド氏の言葉を試すのは相当の勇気がいると思います。
そもそも表現することって恥ずかしいことです。
他人からはバカにされるかもしれない、怒られるかもしれないし、
失敗するかもしれないし、見放されるかもしれない、
挙げ句の果てには嫌われるかもしれないし、
そういうことはなるべく避けるように教育されてきた人が大半だと思います。
しかし、その今まで避けてきたそれらを受け入れる勇気がない限り
自分にとっての心地の良い仕事とは出会えないのかもしれません。
そして自分にとって心地の良い自分にも出会えないのかもしれません。
どれだけ自分の中の思い込みに気づき、前提を壊すかが前へ進む一歩
なのでしょう。
今まで通りの働き方が変わる時代がもう直ぐそばに来ています。
働く時間、場所、国籍、会社との関係、多様性がもっと高まる時代。
この言葉はきっと仕事で悩んで知る方々のヒントになると思います。T
◎この研究室をチャレンジする際に興味を持って協力してくれた仲間がいます。
彼女のお菓子は真面目なのだけど決して(砂糖の甘さだけでなく、)
甘すぎない彼女の考えや好み、テイストがしっかり入っているのです。
お菓子を通して彼女を見るのが私は毎回楽しみなのです。
この日は私の好きなキャロットケーキ、そして1輪の黄色いカラーと共に会を開きました。
Thanks!