最近の篠原紙工

外部のお客さんとの接触を避け、打ち合わせはオンラインが続いてる日々。
在宅勤務する社員、社内でもマスクをつける、時差通勤、交代で休みを取る、私たちもできることはしています。仕事はコロナの影響で半減してしまいましたが工場は通常通り動いています。

私はリーマンショックの時は写真業界にいました。たくさんの人が離職し、「こういう時、コマーシャルとか広告系はすぐに切られるのは仕方ない。」という声を何度も聞きました。そして、今回のコロナで篠原紙工の中でも「こういう時、(篠原紙工)自分たちは弱いよね...。」という会話を何気なくしていました。文化、芸術、コマーシャル的な仕事はこういう時に真っ先に切られる。あの時に刷り込まれた言葉は私の中で根深く残っていたようで、今回もあの時の気持ちが蘇ってきました。


私たち篠原紙工も
平和産業的な要素があるから仕方ないのだろうか、と悶々と考えていました。文化・芸術的なことはこういう非常事態だと途端に贅沢品かのような扱いになっている気もしました。確かに平和があってこそ、できることや発言できることというのは多々あり、だからこそ平和な日々を大切に感謝しようという心はあります。でも文化や芸術は平和が条件の時においてのみ受け入れられると捉えることにいつもどこか悲しさや疑問を感じていました。

 

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*思えばたくさんのお客さんを毎日迎えていたのだなぁ、と思います。 その日が早く戻ることを願います。

そんな中、テレビで「ドイツのモニカ・グリュッタース文化大臣が文化施設と芸術家に支援を約束。」というニュースが耳に入りました。
その内容は私の悶々とした心に答えてくれるようなコメントでした。

「文化は平和で良い時だけに受け入れられる贅沢品などではありません。文化活動を諦めなければならないことがどんなに喪失的なことか、分かっています。それでも(ドイツ)国が文化イベントを中止要請しなければならないということは、この世界の状況が極めて緊急事態ということなのです。」と発言していました。

文化施設やアーティストを経済的な面から守るという意味だけでなく、イベントや展示のキャンセルで意気消沈している文化の世界を励ましている言葉に受け取れました。

ほんの数秒のテレビニュースだったのですが、私に急いでメモを取らせるほど、何が私を突き動かしたのかを考えていました。実際、ドイツでどのような支援が行われているのか、きちんとそれが機能しているかまでは分からないけれど、文化大臣の凛とし、成熟した考えに私自身が周りの雰囲気や意見に思いのほか翻弄されているのかもしれない...。と気づかされました。そして、この状況が異常事態なのであって、自分たちの仕事に自身喪失するような気持ちにはならなくていいのだと。

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ただ、この危機的状況のせいばかりにもしていられません。
そして今回の世界危機はきっと長い...。
リーマンショックの時は金融危機だったけど、今回は「人」「モノ」「お金」全てに悪影響していて誰も経験したことがない状況になってしまいました。
もしかするとこの状態がこれからの普通になる...かもしれない。みんなどこかでそう思い始めているはず。その時に自分たちは何をするのか、どうしたらいいのか、どうしたら楽しく生きれるのか。今は感染しない、させないことを優先しつつ、これから先へ進む準備を着々としています。T